いくつかの質問に、メールで答えてもらいましたので、そのまま、掲載します。少々長くなっていますが、彼女の音楽のことを知る手がかりがいくつも見つかるはずです。
是非、ご一読ください。
●ミュージシャンとしての伊波さんの名前を初めて聞く人がほとんどだと思います。
伊波さんは、どんな音楽が好きなのか、自己紹介のつもりで教えていただけますか。
「よく工夫された真摯な表現の音楽が好き…なのだと思います。(しかし、一方で『まるっきりバカ』みたいな音楽にも惹かれます。ギャグでふざけてるような)
最近よく聴いているのは、モンゴル800の『メッセージ』というアルバムと、岩井俊二監督の映画『リリィ・シュシュのすべて』のサウンドトラックアルバムです。
半年くらい前は、春畑道哉の『レッド・バード』、松本晃彦の『リターナー オリジナルサウンドトラック』、アニーレノックスの『メデューサ』、ドラゴン・アッシュを2枚、桑田佳祐の『ロックンロールヒーロー』をよく聴いていました。春畑道哉が誰かも知らずに…。(チューブはどちらかというと嫌いなんです)
松本晃彦さまがショコラータだったとは知りませんでした。ショコラータ大好きでした。ハードが無いので聴けませんが、インディーズレーベルから買ったLPアルバムを今も大切に持っています。
日々の生活に変わることなく欠かせないのが、ソプラノならキャスリン・バトル、チェンバロならランドフスカヤ、ロザリン・トーレックの古い音源…ホロヴィッツが演奏するスカルラッティのソナタ、バッハの鍵盤曲や弦楽曲、モーツァルトのいくつかの曲、キース・ジャレットが弾くショスタコーヴィッチ。これらの音楽は大好きです。スティーブ・ライヒも好きです。カルミナ・ブラーナのような古い音楽も大好きです。バッハの『インベンション』、ドビュッシーの『子どもの領分』(ゴリウォーグ)、ショパンの『エチュード』(#8)
は、譜読みの段階で挫折したまま…好きなんですけどね。如何せん能力の限界で。
友人からの手紙を心待ちにするように、毎年アルバムを買うのは矢野顕子さんです。忌野清志郎も大好きです。友部(正人) さんは、私の場合、『勉強している』という感じです。『6月の雨の夜チルチルとミチルは』、『遠い国の日時計』の2枚は大好きです。今はもうあまり聴きませんが、洋楽ではニナ・ハーゲン、シンディ・ローパーが好きです。ジャニス・ジョプリンもいいですよね。
あと、自分でバンドを始めるきっかけになったのは、戸川純の音楽でした。ヒカシューもハルメンズも大好きだったので、当然の流れですね。ハルメンズ、かっこよかった。大好き」
●アルバムを出そうと思ったのは、いつ頃ですか。
「はっきりしませんが、1997年頃だったと思います。実際に録音をしたのは1999年の4月でした」
●その時にリリースされなかったのは、どうしてですか。
「録音は私にとって、大きな贈り物でした。『エポックメイキング』という言葉がありますが、私の人生にとってほんとに素晴らしい出来事でした。2度と戻れない『その時』の私の声がデジタルで残るのですからね。
85年のナイナイ(バンド)・ファーストライブの時の声とも違っています。海で歌っていた時とも、GROOVEで歌い始めた時とも違っています。
私はどんどん動いている。気もちも違っていきます。もう、どんなに戻りたくても、戻れません。悲しかった。でも、99年の声は残りました。ガチャピンさん(GROOVEのオーナー)や、清水(隆史)さん(長野市のネオンホールのオーナー)や、宮城さん、ベーゼンドルファーを調律した石垣さん、スタンウェイを調律した島袋さん、夜中の1時すぎまでホールを貸してくれた森根先生…。すべての人がありがたかったです。
しかし、いざ形になってみると、この音楽が果たして繰り返し再生されることに耐え得るものかどうか判断できませんでした。ガチャピンさんや清水さんは、私本人がそうする以上に、私の音楽を大切にしてくれます。私よりもずっと私の音楽を繰り返し聴いています。それを一般化できるでしょうか。
スゴ腕のバンドがついているならまだしも、演奏の出来にも自信なかったし、曲順でも決断することができなかったし、シャープの『アクオス』やトヨタの『プリウス』と違って21世紀に間に合わなかったし…。そのとき、自分の身辺が非常に忙しかったことも大きな原因だったように思います。CD制作に集中することができませんから。集中して考えることができないと難しいです。
デザインと原盤を預けてしまった今でも少し躊躇しています…。これは、私の根元的な問題で、創造するということの、創造する人々と同じ土俵に上ることが怖いです。私は自分の人生や自分自身を見つめ直さなければならなくなるでしょう。今まで目をそむけていたもの、避けて通っていたものから逃げられなくなるでしょう。私は自分をだましだまし、わかっていながら、表現する上で避けてはいけないものを、避けてこれまできたのです。あ〜…かなりズレてきた…うまく言えません。ごめんなさい。以下省略」
●どういったことが作品のテーマになりますか。
「私がいつも考えていること、感じていることが自然に作品に反映されていくようです。当たり前か。…私は世界の現象が通過していくフィルターのようなもので、しかもこのフィルターは、何を通過させるかを主体的に選び、かつ偶発的に選ばれ、私のフィルターを通して生まれた新しい現象が、すなわち『作品』という感じでしょうか。これも当たり前か。こりゃ次の質問の答えかな?
人や世界に『こうあってほしい』という願いが作品に反映されるようです。それは、たとえば、(ドキュメンタリー映画監督の)森達也さんが言った『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』というようなことであったり、誠実な関係に出会いたいという願いであったり、人々の毎日が健やかで愛に満ちていてほしい、という願いであったり…私そのものであったり…。事実をそのまま切り取りたいという創作意欲もあります。私の見たことや出会った人々。
この質問は難しいですね。何かをテーマにすえて作品を作ろうとすることは少ないです。
作品は、初めに何とも形容しがたいイメージが生まれて、それをずっと考えて、感じて、追いかけていくと、それが自然に歌になります。ですから、いつも何かしら考えています。複数の考え(曲)が、私の中でずっと続いています」
●作品はどのように作っていくのですか? ピアノを弾きながら?
「私の演奏できる楽器はピアノだけなので、もちろん、最終的にはピアノの前にすわるのですが…。上の質問に答えたことが答えになっているかな?
変な話ですが、私は車の中で考えていることが多いんです。多くの曲は車の中で、運転中に大枠ができていきます。作品は頭(心?)の中にできていくんです。妙にボーッと集中した状態になって、赤信号に気づかず交差点を通過してしまうこともよくありました。その時は本当にハッとします。そして我に返って今頭の中にためた曲想やメロディを全部忘れてしまったりとかね。
ソロで歌い始めた頃は、それがもったいなくて、愛車のセバスチャン(昭和63年型HONDA TODAY)に小さなレコーダーを乗せていたこともありました。でも、必要なメロディは、そのとき忘れても、後でちゃんと出てくることが経験的にわかってきたので、あわてて路肩に駐車して吹き込むということはしなくなりました。ていうか、最近はもう何も思いつかないなあ。もうそろそろ打ち止めかもね。
石川という田舎に住んでいて、必然的に車を運転する時間が長いので、それで車の中で作っていくのかもしれません。第二の部屋とも言えますもんね。完全に個室だし。目に映る風景は流れて飛んでいくし。FMラジオ聴けるし…。
車の他は、あとおフロです。集中できます。でもワールドカップ以来、お風呂の中ではひたすら本を読むので、最近はお風呂では考えないですね。(現在進行中の曲の中でひとつ、意図的にお風呂の中で作っている曲があります)
基本的にいつも考えている、といった状態です。だから、とんでもないときにフレーズがつながったりすることもあります。会議の最中とか、ユニオンで卵買っているときとか、お茶碗洗っているときとか…。
矢野さんが歌っているように『食べたものが私になる』ということは強く感じます。ものを作っていると特に。だから、自分の音楽のために、できるだけよいものを、できるだけたくさん食べたい、と願っています。でもジャンクフードも捨てがたいです」
●歌詞が先にできますか? それとも曲? あるいは同時なんていうこともあるんで しょうか?
「イメージが先なので…、『同時』ということかなあ。
『ふたりのあさごはん』は、この詩に出会ったときに、メロディがバーッと頭の中にあふれてきて、慌ててピアノの前に走りました。3分くらいで出来ました。自分でもびっくりしました。でも、人生ってどんなことでも起こりうるんだよね。
『玄米』は、ナイナイ(バンド)のキーボードの泉さん(東風平くんの奥さんだよ)と、内間小学校の音楽室で採譜したことを覚えています。私の頭の中で鳴っている音楽を少しずつたどって、1小節ずつ楽譜に載せていくんです。夕暮れの静かな音楽室でした。そのとき泉さんが書いた楽譜を今も使っています。
質問に答えながら思ったのですが、このテーマで、とか、このコード進行で、とか、この歌詞のイメージに合う曲を付けて、なんてことがきちんとできたら、そのへんの技術的なことがクリアできたら、プロになれるような気がします。私は『どうやって作るのですか』と聞かれても、自分でもよくわかりません。これがわかったらプロになれそう。できてくるもの、でてくるもの、としか言えないですね」
●収録された作品は、いつ頃できたのですか?
「『お台所』、『まーきー』、『玄米』、『ドライブ』は、ナイナイでも演奏していたので、86年〜88年頃出来たと思います。ただ、ソロで演奏できるようになったのは、91年以降のことです。ナイナイのアレンジは素晴らしかったので、まさか自分が一人で演奏できるとは、やってみるまで信じられませんでした。演奏はとても難しいことだと思っていたのです。
毎月GROOVEでライブを続ける中で、1曲1曲、少しずつピアノにのせていきました。ちなみに、GROOVEで演奏し始めた最初の頃(91年8月から始めたかな?)は、バッハのインベンションを8曲くらい弾いた後に『玄米』を1曲歌って帰る、という信じられないライブでした。しかもそのインベンションは滅茶苦茶へたくそなんです。
そのころGROOVEにはピアノは無かったので、琉大ロックのキーボーディスト越智くんに、YAMAHAの88鍵クラビノーヴァを貸してもらっていました。毎回小さなセバスチャンに越智くんと一緒にクラビノーヴァを積みます。その積み方はもう芸術と言ってもいいほどです(ウソ)。すごく重いので、これが結構重労働でした。それを地下のGROOVEにガチャピンさんと一緒に運んで、組み立てて…終わったらまたセバスチャンに積んで宜野湾の越智くんのアパートに返し、そして石川の自宅へ帰る…まったく、よくやるよ。ガチャピンさんがオーナーじゃなかったら、続かなかったでしょうね。
GROOVEでは、未完の曲でもどんどん演奏していきました。そうすることで、だんだん曲がまとまってきて、10年の間に少しずつ増えていきました。
『お台所』は、今はもう気もちが離れてしまってほとんど演奏しません。曲は好きなんだけど、歌詞が許せない…春のライブで久しぶりに歌うことになると思います。
92年頃、『夏の言葉』、『(ぼくの武器は…)』。
93年〜98年、『(ぼくの家ときみの家…)』『ふたりのあさごはん』『(海を遠く離
れて…)』。
『きみは』は、97年頃ネオンホール(長野市)の小さなビデオ画面で出会いました。ひとめぼれで、すぐに江村くんに許可をもらってアレンジしました。原曲にはどうしても歌いたくない部分があったので、これも江村くんの許可をもらって改作しました。
そして、私のヴィジョンを付け加えていきました」
●今回のアルバムのタイトルは「drive」です。このタイトルにした理由を教えてください。
「すごく眠くなってきたので、後日返信いたします」
●タイトルがない曲が3曲あります。タイトルがない理由は特にあるのでしょうか。
「これも…同上。すみません」
●出来て間もない曲に「無題」という人はいますが、CDになって曲のタイトルがないというのは、初めての体験です。聴き手の側からすると、少しとまどうこともあると思いますが。
「申し訳ありません。なにとぞ、ご了承の上、ご容赦ください。
しかし、曲に題名がつくようになったのは、ロマン派以降の音楽からではないでしょうか。音楽史的には、曲に題名の無い時代のほうが長かったかもしれませんよ。
ある題名のもとに内容が集約されていく作品を作る、という意識は中世の吟遊詩人にはなかったと思います。あの貧しい人たちを想像してみてください…。あるいは、バッハにもモーツァルトにも無かったかも…みんな、自分の中に、音楽にする以外には表現しようのないイメージをもっていただけかもしれません。
あと、たとえば意中の人に愛が伝わればそれでOKとかいう実際的なやつ。あの、窓辺で奏でる音楽。(音楽史を詳しく学んだわけでも、確かめたわけでもないので、このへんは中村透先生か誰かに教えていただきたいのですが)『自我』の概念を強く自覚し始めた近代以降の人間、ルドルフ・シュタイナーが述べたところのいわゆる『悟性魂』の人間としてではなく、現代とは全く異なる時間や空間の感覚を持っていたルネッサンス以前の『心情魂』の人間として、今とは全く違う種類の人類としての感覚を自分の中に想像しながら、音楽に向き合ってみるのも悪い経験ではないかもしれませんよ。たとえば小林秀雄が指摘した中世の『そこいらの女房』の無常観とか、どうです?
へ理屈をこねているように受け止められると本意ではないのですが、難しいことではなくて、私が言いたいことはもっと単純なことなんだけど…。もし自分に力があるなら、このことを作品で表現したいくらいなんです。この説明し難いことを。
ヒッピームーブメントの『自然に還ろう!』とかとも違うんです。そしてそれは、現代に生きる私たちにとても必要なことだと感じられるのです。でも無理だよね〜。
武満徹クラスじゃないと…。でも私にも違う方法でできるかもしれないよ。でも、ほんとに豊かな技量があったらなあ…う〜ん。 なんか、話が激しくズレたような…すみません」
●最初からピアノの弾き語りで、他の楽器を入れるつもりはなかったのですか?
「このスタイルで10年演奏してきて、これはこれで私や上地さんや清水さんにとって大切なことだったので、録音するにあたって、まず、この形をアルバムにする、という明確な意図がありました。
そういえば、『ぼくの武器は…』に手作りの打楽器か何かを入れようか、というアイディアもありましたよ。ライブのとき、バリ島の民族楽器(打楽器)をわざわざもってきて参加したお客さんもいたし、とてもセンスのいいパーカッションを入れた人もいたし、上地さんたちの手作り打楽器ユニットの経験もあったので。ライブを録音しよう、という案もありました。しかし、結局はアカペラになりましたね。ベーゼンドルファーを前にして…」
●以前バンドをやってらっしゃいました。ああいうスタイルで、今の自分の音楽を表現しようとは思いませんでしたか。
「バンドはとてもやりたいです。『今の自分の音楽』というところからは少しはずれるのですが、今私が一番やりたいことは、RCサクセションあるいは忌野清志郎のカバーバンドを作ることです。『働く人々』、『自由』、『指輪をはめたい』などなど、いい曲たくさんカバーしてみたい。気持ちの合う仲間が見つかると最高だと思います」
●今後はどういうスタンスで活動をしていかれますか。
「まず、当面の目標は、このアルバムの制作にあたって、赤字を出さないこと。独立採算とれるようにすること。(具体的にこうすれば、という方法があるわけではないのですが…とりあえず、祈ってます)
それから、この機会に身辺を少し整理して、自分の音楽に関わる時間を増やしたいと考えています。『drive』が一段落したら、しばらくは『自分』にひたっていたい
です。(始まる前に、すでにこういう欲求を感じています。大丈夫だろうか) 次のアルバムも録音したい。
ライブは大切にしていきたいです。私の場合、曲ができていく場所でもあるので…。 これまで行ったことの無いところでも演奏できる機会があるといいな、と思っています。(モッズはそのひとつになりますね)
そして、たくさんの人に出会いたいです」
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